集団礼拝は、旅行中でも日常の中でも女性を除く礼拝ができる男性に対して義務行為です。その根拠は、以下のように多数あります。
1.例えば戦闘場での恐怖の礼拝についてアッラーは仰せられました。 {あなたがかれら(信者)の中にあって,かれらと礼拝に立つ時は,(まず)かれらの一部をあなたと共に(礼拝に)立たせそしてかれらに武器を持たせなさい。}
[婦人 (アン・ニサーア:102節]
その中で至高のアッラーは旅行や恐怖の状態での集団礼拝を命じました。したがって安全な状態と(旅行していない)居住状態では集団礼拝は当然より求められることになります。
2.アブーフライラの伝承によるとアッラーのみ使いは述べました。 «偽信者にとって全ての礼拝の中で最も重荷なものはファジュル(夜明け前)の礼拝とイシャ―(夜)の礼拝です。その礼拝にどれだけの報酬があるか知っていれば、腹ばって(腹這う:這う)でも行ったでしょう。確かに私は礼拝を命じ、それが行われることになり、それから、一人の男性に礼拝を先導するように命じ、その後に私は数人の男性と薪の束を抱え、礼拝に参加しなかった者たちの処へ向かい、彼らが家の中にいるまま彼らの家を火で焼くつもりでした。»
. 預言者は集団礼拝に参加しなかった者を焼却したいと願ったのではありません。何故ならそれが義務であり、またこのようにそれに参加しなかった者たちを偽信者と述べることは、それが義務であること以外にはありえないからです。
(合意のハディース)
3.盲目の男性のハディースによると、彼はモスクへ案内してくれる人がいなかったので、預言者に自分の家で(義務の)礼拝を行う許可を求めた時、すると預言者は言いました。 «。(あなたの家では)礼拝の呼びかけが聞こえますか?」彼は(はい)と答えました。すると預言者はこう言いました。(ではそれに応じなさい。)»
(ムスリムの伝承)
4.イブン・マスウードの伝承によると «明日(来世で)ムスリムとしてアッラーにまみえたいと思う者は礼拝への呼びかけがあった時には、それに答えて遵守すべきである。なぜならばアッラーはあなた達の預言者に様々な導びきの方法を定めました。そして礼拝はその中の一つです。」だからたとえあなた達が自分の家で礼拝したとしても、それはモスクでの礼拝を拒否して家で一人で礼拝する者と同様であり、あなた達は預言者の慣行を無視しそれを捨てたことになります。そしてあなた達が預言者の慣行を捨てるということは、あなた達が正しい道を見失い迷ったことを意味します。浄めを十分に行い、それからモスクに向かう者には、誰であれアッラーは彼が一歩歩く毎にその報償を記録に留め、また彼の来世の地位を引き上げ、彼の罪を取り去ってくれます。私は我々の中では、その偽信が仰知られているムナーフィク(偽信者)以外には礼拝に参集しない者を見ません。またその一方で、自らは歩けないために礼拝の列に加わるまで二人の男の肩に寄りかかって連れてこられた者がいました。»
(ムスリムの伝承)
1.アッラーの信仰における同胞性と愛情を互いに認め合うこと、彼らの間にある愛情の絆を強めること、それなしには信仰が容易ではないことです。何故ならアッラーの信仰における愛情以外に楽園と信仰への道はないからです。
2.偽信仰と地獄の炎からの解放。これは40日間連続で礼拝開始のタクビール(タクビール・イフラーム)を行えた者の為です。アナスはアッラーのみ使いが次のように言ったと伝えています。 集団礼拝に参加しなおかつタクビール・イフラームを40日間連続で行いアッラーの為に礼拝した者は、誰でも、2つの解放が記されるでしょう。1つは地獄からの解放であり、もう1つは偽信仰からの解放です。» (アッティルミズィーの伝承)
3.ムスリム全体を統合し、善行と良いものへ彼らの心をまとめます。
4.ムスリムたちを彼らの中にある問題について互いにかばいあい助け合うこと。。
5.宗教の儀礼とその強さを表すこと。
6.礼拝の時一つの列に白人、黒人、アラブ人、非アラブ人、年寄や若者、金持ちと貧乏人が、肩を並べ一つのモスクで、一人のイマーム(導師)の後ろで、一つの時間に一つのキブラに向かって、一つの方角へ向かうことで、ムスリムの心を一つにすること。
7.アッラーの敵を激怒させること。何故ならムスリムはモスクでの集団礼拝を守り続ける限り、強力で難攻不落であり続けるからです。
8.罪を消し天国での地位を上げる。アブー・フライラの伝承によるとアッラーのみ使いは言いました。 アッラーが罪を消去しあなた方の地位を上げて下さる行いを教えましょうか?」かれら言った。「はい。アッラーのみ使いよ」彼は言いました。「困難な時にウドゥー(小浄)を行い、モスクへ多くの歩みで行き、礼拝の後に次の礼拝の時間を待ちなさい。それが(アッラーとの)絆です。 (ムスリムの伝承)
9.集団で行う礼拝は1人で行う礼拝に比べて27倍の報酬があります。アブドゥッラー・イブン・ウマルはアッラーのみ使いが次のように述べたと言いました。 «集団で行う礼拝は1人で行う礼拝に比べて27倍の報酬があります。»
(ブハーリーの伝承)
集団礼拝に間に合うためには、イマーム(導師)と一緒に、その礼拝の内1ラクアを礼拝できれば集団礼拝をやったことになります。もし、1ラクアにならない場合は、集団礼拝したことにはなりません。しかし、イマームと一緒にやった分の報酬は、あります。もし別の集団礼拝に参加できることがほぼ予想できるなら、最初から集団礼拝に加わるためにそれを待つことが優先されます。
ラクアに間に合うためには、ルクーウを行うことです。イマームが先にルクーウを行っていた時には、まず立った状態で開始のタクビール(タクビール・イフラーム)をしてからルクーウに入らなければなりません。一番良いのは、さらにルクーウのためのタクビールも行うことです。もし立った状態でタクビール・イフラームだけにても受け入れられます。
1.疑いなく困難が伴う病気
2.大小便を我慢すること。それは礼拝での謙虚さを失わせることになり、体に障ることになるからです。
3.食物の存在と心がそれに止まってしまう状態。ただし、それが参加しないための企みやそれがいつものこととしている場合は別です。
4.生命やそれ以外のものに危機が及ぶ状況。例えば、敵が待ち構えていあたり、危害を加えようとしている恐れがあるような人です。
1.礼拝にやって来た時、イマームがタクビールをしてるところだったら、そのイマームの行っている状態にすぐに従うべきです。イマームが立礼を行うまで待つべきではありません。
2.モスクでの集団礼拝に理由があって行かなかった人は、できるならその礼拝を集団で行うこと。