特定の物の消費を避けることです。
偉大なアッラーの奉仕と服従として暁から日没まで、飲食や性交などを控えることです
{信仰する者よ,あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたに斎戒が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう。
(斎戒は)定められた日数である。だがあなたがたのうち病人,または旅路にある者は,後の日に(同じ)日数を(斎戒)すればよい。それに耐え難い者の償いは,貧者への給養である。すすんで善い行いをすることは,自分のために最もよもしあなたがたがよく(その精神を)会得したならば,斎戒は更にあなたがたのために良いであろう。ラマダーンの月こそは,人類の導きとして,また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーラが下された月である。それであなたがたの中,この月(家に)いる者は,この月中,斎戒しなければならない。病気にかかっている者,または旅路にある者は,後の日に,同じ日数を(斎戒する)。アッラーはあなたがたに易きを求め,困難を求めない。これはあなたがたが定められた期間を全うして,導きに対し,アッラーを讃えるためで,恐らくあなたがたは感謝するであろう.}
[雄牛章183節―185節]
サウムには幾つかの膨大な利点と沢山の報酬があります。その位を絶賛するため全能のアッラーはサウムを自分自身に結びつけました。アブ―フライラが伝えたクドゥシーハディ―スによると預言者(彼に平安あれ)は述べました。「: 本当にアーダムの子(人間)の全ての行いは、その10倍から700倍の善行として倍増させられる。偉大かつ荘厳なるアッラーは仰った:「但しサウムは別である。それはわれのためのものであり、われはそれに(特別な)報奨を授ける。(というのもサウムする者は)われゆえにその欲望と食事を放棄したからである。そして(サウムする者の)口臭は、アッラーの御許において麝香の香りよりも芳しいものなのだ。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承)」» (合意)
偉大かつ荘厳なアッラーへの服従として彼の規定に従うためです。全能のアッラーは仰せられました {恐らくあなたがたは主を畏れるであろう} [雄牛章183節]
サウムは人に困難に耐える訓練を施し、自らを規律づけることを教えてくれます。
サウムは、同胞の痛みを分かち合う心を養います。飢えを感じる時 心は優しくなり貧者や困窮者への善行や奉仕へといざないます。
消化器官を過労から休息させ、その活力と回復を促します。
至高のアッラーの仰せられるサウムは2種類あります。
義務のものにも2種類があります。
アッラーのしもべに初期から義務とされたサウム。ラマダン月のサウムはイスラの五柱の一つです。
アッラーのしもべ自らによって課せられた義務のサウム。例えばサウムは契約破棄や不平等の結果の罪滅ぼしのためです。
崇高で壮大なアッラーとアッラーのみ使いに推奨された全ての種類のサウムを含みます。この例として月曜と木曜日のサウム、月3日のサウム、ムハラム月10日目、ズー・アル=ヒッジャ月の初めの10日間とアラファの日です。
1. イスラーム:サウムは不信仰者には義務ではありません
2. 成人:サウムは子供には義務ではありません。しかしサウムに親しむために可能であればサウムを命じたり奨めることができます
3.理性が健常な者:サウムは障害者には義務ではありません
4.能力;サウムを遂行不可能な者には義務ではありません
ラマダン月のサウムは至高のアッラーに命じられたしもべへの義務であり、イスラムの柱です。
至高のアッラーは仰せられました: {信仰する者よ,あなたがた以前の者に定められたようにあなたがたに斎戒が定められた。恐らくあなたがたは主を畏れるであろう}
[雄牛章183節]
預言者(彼に平安あれ)は述べました: «Îイスラムは5柱から成ります。そして彼はラマダン月のサウムについて言いました» ブハーリの伝承.
1.ラマダン月にサウムを行い、夜の礼拝に努めることで過去の罪が許されます。預言者は述べました。: 信仰心と、ご褒美ゆえの努力をもってラマダーン月にサウムする者は、それ以前に犯した罪を赦される» (合意) また預言者はこう述べました: «信仰心と、ご褒美ゆえの努力をもってラマダーン月に礼拝(サラー)する者は、それ以前に犯した罪を赦される» (合意)
2.荘厳なる夜(ライラトル・カドル)に礼拝する者は、それ以前に犯した罪を赦されます:«信仰心と、ご褒美ゆえの努力をもってライラトルカドルに礼拝する者は、それ以前に犯した罪を赦される »。(合意)
3.ラマダーン期間中の小巡礼(ウムラ)は預言者とハッジを行った者と報酬に関して同等です。預言者は述べました。:Ûラマダーン月のウムラは、私と一緒のハッジと報酬に関して同等です» (ムスリムの伝承)
4. ラマダーン期間中は、天国の諸門は開け放たれ、地獄の諸門は閉じられます。そしてシャイターンはかせをつけられて拘束されるのです。預言者は述べました: «ラマダーン月が来ると、天国の諸門は開け放たれ、地獄の諸門は閉じられる。そしてシャイターンはかせをつけられ(て拘束され)るのだ.» (合意) 故にムスリムはアッラーに懺悔し、禁じられた事柄を避けるよう努め、引き続きアッラーのご慈悲と報酬を願います
5. ラマダーン月はクルアーンが啓示された月です。従ってクルアーンを読みましょう: {ラマダーンの月こそは,人類の導きとして,また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月である.} [雄牛章185節]
6.ラマダーン月は寛大さと慈悲と慈善の1ヶ月です。イブン・アッバースは言いました 預言者は男性の中で最も気前が良く、ラマダン月には更に気前が良かったです。本当に預言者はジブリールに出会った際に、善行に関して言えば吹き込む風よりもより良く、より優しかったです。» (合意)
ラマダン月の開始は新月の確認によって始まります。シャーバン月の9日目の日没後に新月が確認されると、ラマダンの開始を示唆します。しかしながら30日目の夜の日没後に三日月が曇り、または塵または空中の煙の為に観察されなかった場合は、シャーバン月は30日と数えられます。預言者は次のように述べました: 三日月が見えたら斎戒し、それが見えたら斎戒を解きなさい、しかしそれが視界から隠れたら、30数えなさい.(合意)
ラマダン月に斎戒を解くことは禁止で重大な罪です。したがって正当な理由なしに斎戒を解き、アッラーへの懺悔を拒否した誰もが、その年に斎戒したとしても、その一年の間の斎戒は受け入れられないでしょう。これは預言者の言行によるものです。: 誰もが全能のアッラーに与えられた正当な理由なしに1日の斎戒を解いたとしたら、1年の斎戒は罪の償いとして十分ではないでしょう (アブ・ダウードの伝承)
斎戒を解いたことによる罰は重大です。アブ・ウママ・アル-バヒリーの伝承によると、かれは次のように預言者が述べるのを聞きました: 睡眠の経過中に2人の男がやって来て私の上腕部を抱え、私達は険しい山へと向かいました。その男たちは私にそれに登れと頼みましたが、私はできないと伝えました。彼らは私に容易にすると言いました。私がその山に登り、その真ん中に到達すると、大声が聞こえました。私は「あの声は何ですか?」と尋ねました。彼らは「それは地獄の住人の遠吠えです。」と言いました。そして私は違う場所へと連れていかれ、私は大腿後筋から吊るされ、口角が裂け、血がしたたっている人々を見ました。私は「彼らは誰ですか?」と尋ねました。彼らは、「彼らは斎戒を解く適切な時間の前に斎戒を解いた人々です。」と言いました.»
(Îアブ・ダウードの伝承.)
イブン・アル・カイ―ム(アッラーの御慈悲がありますように)は述べました。ラマダン月の預言者の指導の1つは:ラマダン月にジブリールが預言者と共にクルアーンの修正をしたように全能のアッラーへの崇拝の強化です。そして預言者は最も寛大で、特にラマダン月は更に寛大でした。預言者はジブリールに出会ったときは涼しい風よりも更に寛大でした。 (ザードゥル・マアード・フィ・ハディ―カイリル・イバード(2/30))
ラマダン月のように好まれる時、特にライラトル・カドル(荘厳なる夜)を待つ夜は、この月のこの時の利点を得られるように、クルアーンの朗誦を増やします。
ラマダン月の最初の夜は、イマーム・ブハーリ(彼にアッラーの慈悲がありますように)は同胞を集めて、礼拝を先導していたものでした。彼は一つのラクア(アッラーへの礼拝を捧げる間のムスリムによる特定の動きの単位)に20節を朗誦し、クルアーンの全ての章を終わらせるまで続けました。またクルアーンの半分から3分の1をスフール(夜明け)前の時間に朗誦し、毎晩サウムを解く時間までにクルアーンの全ての章を終わらせようとしました。彼は次のように言ったものでした。「クルアーン朗誦を終了するたびに、アッラーが受け入れて下さるドゥアー(祈願)があります。」 (シファト・アル‐サフワ(4/170))
シャーフィーの伝承によると預言者はラマダン月はサラート中に朗誦する以外に、60回クルアーンの全ての章を朗誦し終えました。(シファト・アル‐サフワ(5/255))
サーイブ・イブン・ヤズィドの伝承によると彼はこう述べました; オマン・イブン・アル‐カタッブの時代は、ラマダン中に20ラクアの礼拝でクルアーンの200節を朗誦していたものでした。。オスマン・イブン・アッファンの時代は、礼拝に立つ間の時間の長さの為に、自分自身を杖で支える必要がありました.»(その章は100より多いという意味です。スナン・アル‐クブラのアル・‐バイハキ(2/699)
アブドゥッラ・イブン・アビ・バクルの伝承によると「私は父がこう言うのを聞きました; «ラマダン中にサラートを終えた時には、使用人はファジャールの時間が来るのを恐れて、急いで食事を準備したものでした.»(ムワッタ・アル‐イマム・マリク‐アブドゥル・バキ(1/116))
ナフィはイブン・ウマルがラマダン月の間に家でサラートを行っていたと伝えました; «人々がモスクから去ると、彼は水の容器を持って預言者のモスクに出向きました。ファジャールのサラートの後までモスクを去ることはありませんでした.» (スナン・アル‐クブラのアル・‐バイハキ(2・699)