これは至高のアッラーに、少雨と旱魃の時に雨を願う事です。
これはスンナ・ムアッカダ(確定さてたスンナ)です。アブドゥッラー・イブヌ・ザイドのハディ―スによると 預言者は礼拝場にお出でになり雨乞いの祈願をされました。その時キブラに向かわれて外とうを裏返しにされ、2ラクアの礼拝を行いました。»
(合意の伝承)
それは旱魃や,雨が止まったり、泉と井戸の水が減少したり、もしくは川が干上がったりした時に、許可されます。太陽が上り、槍の長さまで昇ったら、サラートを行う事が推奨されています。その時間は日の出の約20分後で、(2つの祭りの間に行われるサラート)サラートゥル・イードの時間です。
預言者の方法に従っ て、他の状態の必要がない時は、マスジド内ではなく、礼拝場で行う事がスンナです。
この礼拝は、アザーンとイカーマなしの2ラクアです。両方のラクアで読誦は声を出して行います。
礼拝者は最初のラクアで開始のタクビールの後、タクビールを7回唱えます。2回目のラクアでは、スジュードから立ち上がる時に言うタクビール以外に5回タクビ ールを唱えます。
タクビールの度に両手を挙げ、タクビールの間にアッラーを称賛し、預言者に祝福を願います。
礼拝の後にイマームは一つの説教をします。その中ではイスティグファール(罪の赦しを求める祈り)とクルアーンの朗唱を多く行い、それから伝えられている預言者の祈り(ドアー)の言葉による祈りを多く行います。祈りでは懇願するようにし、ア ッラーに向けて謙虚な態度で困窮し欠乏していることを露わにし、それが届くように両手を高く上げます。
イマームはキブラに面し、アッラーにドアーしながら、かれの外套を裏返し、左を右に、右を左にします。
1.礼拝を先に行うことは、罪からの改悛や本来の権利者にその権利を返 すことでその不正から脱出することで人々の心を和らげ、彼らへの忠告や警告となります。何故なら罪は雨不足の原因であり、タウバ(改悛)やイスティグファール(罪の許しを請う事)や、タクワー(畏神)は、ドアー(アッラーへの祈願)に応える原因になり、良いものと祝福の原因になるからです。またかれらに施しを奨励することは、慈悲の原因になります。
2.人々がそれに備え る事が出来るように、サラートゥル・イスティスカーの為に出かける日を限定します。
3.アッラーへの切望を現しつつ謙遜と従順さと自らを卑下し、つつましやかにそこへ出かけていくことはスンナです。このことために飾ったり香水をつけたりすることは、定められていません。イブン・アッバースは、預言者が雨乞いの為に出掛ける時の 様子を描写し次のように伝えています。 本当にアッラーのみ使いは礼拝場に到着するまで謙虚な服装(ムタバッディラ)
(ムタバッディラ:装飾や良い身なりを止めること。)で、控えめに、謙遜して外出しました。» (アブー・ダーウードの伝承)
4.説教では両手を挙げ、ドアー(嘆願)とイスティグファール(罪の許し)を多くします。«
雨の降り始めは、雨の中に立ち身体を雨に晒す事が奨められています。これはアナスが伝えた預言者の行いによります。 我々がアッラーのみ使いと一緒にいた時に、雨が降りました。するとアッラーのみ使いは雨に濡れるように服を脱ぎました。我々は尋ねました。「アッラーのみ使いよ 何故このような事をしたのですか?」彼は答えました。「何故ならそれ(雨)は至高の主から新たな創造だから です。» (ムスリムの伝承)
雨は唯一なアッラーからの恩恵です。ムスリムは、雨がアッラーのしもべへの恩恵と慈悲として降ってくるものであると確信すべきです。一部の人々が言うような「雨は何々(誰々)の結果」ではありません。これはシルク(多神)です。―アッラーよ私達をその罪からお守り下さい。